教育革命期を迎えて 
━ 「三密」公教育の終焉 ━
「教育の学校からの開放」をめざす


1. 「今」を教育界はどう認識すべきか

 近代公教育と近代学校は、産業革命とそれに連なる産業・経済発展を支える教育として安価で効率的な学校教育を求める社会にマッチしてきた。今思えば、それは「三密」を前提とした教育にほかならなかったのだが、わが国も、公教育発足以来、それを1世紀半追求し、その功績を疑うことはなかった。

 しかし、今、新型コロナはこれまでの人類の教育を「安直」なものとして痛撃を加え、新たな教育体制の構築を促している

 「三密」の公教育はそのスタート時点から問題を抱えていた。この教育が「一斉授業」という必ずしも個人の発達段階や個性・能力に十分対応していない制度を前提としていたからである。この弊害克服のための努力がその後の教育方法学をはじめとした教育学研究の中心のひとつとなってきたが、いくつかの試みが多少の成果をあげたものの、明確な成果を出すことなく現在に至った。

 また、わが国では、やっと近年、教師の「教え込み」による教育を反省し、児童生徒・学生が自ら進んで学ぶ教育の在り方をアクティブラーニングと呼んで推進しようとした矢先、その成果をほとんど見ることなく、自然界からの痛烈な反撃にあってしまった。

 今始まろうとする「教育革命」は人類史上最も重要な転換点のひとつになることは間違いない。新型コロナワクチンの開発、新型コロナへの特効薬の開発に匹敵する人と資金がこの教育革命に投入されなければならない。

2. どのような未来が想定されるのか

 「三密」を避けるための試みとして、ある高等学校の姿がテレビに映し出された。段ボールとビニールで作られたボードが生徒一人ひとりの机の周りに建てられていくのである。先生方の工夫と努力が痛いほどわかったが、私には異様な光景に映った。これまでの学校教育体制を維持しようとすれば、あのようになってしまわざるを得ないのだろう。

 しかし、これまでの学校の姿にとらわれず、新たな教育の在り方を目指せば、事情は異なってくるのではないだろうか。

 オンライン授業とかリモート授業と呼ばれる授業体制を本格的に始動する時代が到来したと考えるべきである。現在は、教室での授業を実施できる状況にないから、それを補う方法として、オンライン・リモート授業が実施されている。しかし、この発想を逆転して、オンライン・リモート授業を教育のメインに置き、それを補うために、少人数ずつの登校や隔年での登校授業を行う形にすることが望ましいのではないだろうか。

 児童・生徒・学生が学校での様々な活動を通して、友人関係を育み、社会性を学んでいくことは学校教育の重要な要素である。学校が今日ほど教育に大きな力を及ぼしていなかった時代は、地域社会の教育力が子どもを育ててきた。しかし、急速な近代化と都市化が進行することによって、地域社会の教育力が失われてしまった現代こそ、学校が子どもの社会性を育てる役割を担わなくてはならないことは自明のことである。

 そうであるならば、むしろ学校は児童・生徒・学生の社会性を育成する場所へと目的の中心を変更し、教科の学習はオンラインやリモートによる教育へと移行していくことが望ましいと言えるのではないだろうか。

 私はこれを「教育の学校からの解放」と呼びたい。教育革命の第一歩は教育の中でも教科に関する指導を学校から解放することが必要なのではないのだろうか。

 そのために、新型コロナワクチンの開発、新型コロナへの特効薬の開発に匹敵する人と資金が早急にこの教育革命に投入されなければならない。

3. オンライン・リモート授業の現状

 現在、実施されているオンライン・リモート授業は大きく分けて、3種類である。それらは、課題提示型、オンデマンド型、ライブ授業型である。

 課題提示型やオンデマンド型はこれまでにも通信教育の分野で行われてきた経験がわが国では蓄積されていて、システムとしてはある程度完成していると思われる。それが、どのような教育効果を上げているのかは別として、通学型の学校教育を行えない事情を持つ領域では一定の成果を上げている。

 ところで、ある大学の通信教育課程では、オンデマンド方式による講義を実施するにあたって、2単位(15回の講義と1講義ごとの理解度チェックテストおよびレポート提出・単位認定試験)の講義を作成するために、150万円程度の投資が必要であると言われている。実際には、オンデマンド授業を実施するためには、その前提となるシステムの開発と導入が必要であるから、多額の費用が掛かるのだが、その経費はカウントせず、講義作成に必要な費用だけの見積もりが150万円ということである。

  ひとつの大学の講義数は数百講座を超える可能性があるから、システムの導入からオンデマンド授業用の教材を作成するところまで含めると、莫大な費用を一気に投入する必要が出てくることになる。

 これに対して、ライブ授業は既存の会議システムを用いているのが一般的であるから、比較的導入しやすく、教室での対面授業のような学生と教師の相互交流は難しいけれども、それに近い状況を作り出せている。

 しかし、ここにも大きな問題は生じているという実態がある。ある大学で行われているライブ授業から見えてきた現実を紹介したい。

 学生のオンライン環境に大きな違いが生じている現実である。大学のパソコン教室で行う講義であれば問題はないけれども、現在行われているライブ授業では、学生が用いているデバイスに大きな違いがあり、各家庭のネット環境にも大きな差が出ている。

 以下に示す資料は、講義中の受講学生の視聴状況を記録したものの一部である。左端の漢字は学生の名前(個人名を伏せるため、名前の最後の一文字のみ掲載)、右の棒グラフは学生の受信状況である。グリーンは受信良好、オレンジは受信が普通の状況、赤は受信不良の状況を示している。講義開始12分前から講義終了の2時半までを測定している。

ラーニングスケルトン

 上から4番目の学生のように、全期間通じて受信状況が良好なものから、上から2番目の学生のように受信状況が大変悪い学生まで大きな差が生じていることがわかる。

 これは現在多くの大学が利用している既存の会議システムを用いたライブ授業の実態を示すひとつの指標である。この資料だけから、視聴状況に大きな格差を生んでいる原因を特定することはできないが、わが国のオンライン環境がいかに脆弱であるかをよく示していることは間違いない。これは大学での講義の様子を測定したものであるが、小中高いずれの学校段階でも同じことが言えるのではないかと考えられる。教育の格差を埋めることをひとつの目標として実施されているオンライン・リモート授業が、実は、教育格差を広げている可能性も見られるのである。

 したがって、新型コロナワクチンの開発、新型コロナへの特効薬の開発に匹敵する人と資金がインフラ整備を含めて早急にこの教育革命に投入されなければならない。

4. アクティブラーニングとオンライン・リモート授業

 アクティブラーニングという言葉は最近よく使われるようになった。平成29年、30年の学習指導要領改訂でも取り上げられている。これが今声高に言われるようになったのは、高等教育とくに大学学士課程の教育の改革を要望した中央教育審議会2012年答申に始まる。 学士課程は主に講義と演習(ゼミ・実験を含む)から成り立っているが、かつてほどではないにしても100人、200人が受講する講義や大学によっては数百人を超える学生が受講する講義もある。学生にとっては、さほど興味のない後援会に毎日引っ張り出されているようなものである。教員の側も、講義後のラーニングリフレクションを見て、学生の聴講姿勢や学習効果に疑問に感じ、ピント外れの反応にがっかりすることが多い

 演習(ゼミ・実験)においてもさほど教育効果は上がっていたとは言えない。その背景には、高度成長期から一般化した以下のような認識があったと言われている。 「企業は大学教育に多くを期待しておらず、入社後の社内 教育と実務上の経験や実践で人材を伸ばせばよい」 「昔から大学生は勉強しておらず、 それでも卒業後社会で十分に活躍してきた」(2012年中央教育審議会答申から引用) このように、学士課程教育の限界は誰の目にも明らかであったなかで、中央教育審議会はこの学士課程が目指すべき教育の目標を以下の4点にまとめた。

 ① 答えのない問題に解を見出していくための批判的、合理的な思考力の養成
 ② チームワークやリーダー シップを発揮して社会的責任を担いうる能力の養成
 ③ 総合的かつ持続的な学修経験に基づく創造力と構想力の養成
 ④ 想定外の困難に際して的確な判断をする教養、知識、経験の養成

 これらの能力を養成するために、学生の認知能力、倫理観、社会性を引き出すべく、ディスカッションやディベートを用いた双方向の講義、演習(ゼミ・実験を含む)授業 への転換を求めたのである。

 ちょうどこの頃、エドガー・デールの「学習定着率」の考え方が注目されていたこともこの転換を後押しした。デールの考え方は、「ラーニングピラミッド」として様々なところで取り上げられているから、ご存じの方も多いと思われるが、再度ここで紹介しておこう。

ラーニングスケルトン

 この理論によると、「講義」や「読書」は学習定着率が非常に低い一方で、望ましい学習とは「グループ討論」「自ら体験する」「他の人に教える」というような学習形態であるとされる。こうして、アクティブラーニングに向けた大学学士課程の教育を大きく転換すべく各大学の努力が始まり、今日に至っている。

 この議論の過程で、大学の学長・学部長の多くは、高等学校教育との連携・協力の重要性を指摘し、やがて、学士課程の改革からはじまったアクティブラーニング導入への動きは中等教育、初等教育へと波及していった。近年議論となった大学入試改革もこういう教育転換の流れの中にあると考えられる。

 しかし、「グループ討論」「自ら体験する」「他の人に教える」を重視した教育は、教室での授業以上に、より「三密」状態を作る危険性をはらんでいて、新型コロナ禍に苦悩する現在、この教育法の用い方には十分な配慮が必要であることは周知のことである。

 オンライン・リモート授業で、いかにしてアクティブラーニングを実践していくか、これまでの視点と同様、この研究にも、新型コロナワクチンの開発、新型コロナへの特効薬の開発に匹敵する人と資金が投入されなければならない。

5. ただちに取り組まなければならないこと

 このような状況の中でも教育は進められなければならないのだから、私たちには「工夫」が求められている。

 まず、挙げられることは、ひとつのシステムに依存しないことである。多くの会議システムは授業中に資料を提示することが可能であるし、適宜チャットを使って、学生の反応を知ることも可能ではある。しかし、講義の進展に応じて、その都度知りたい学生個々人の理解度や反応を即座に指導者が入手することは難しい。講義後、レポートやラーニングリフレクションを課して判断するのが一般的な指導方法となっている。

 そこで、私が注目しているのはメディア・ファイブ社の「思考支援ツール」である。私はこのシステムを「アクティブラーニングのための思考支援ツール(Thinking Assist Tool for Active Learning)『TATAL』(テイタル)」と呼びたいと思っているが、このツールは既存の会議システムには見られない教育活動で不可欠な要素と「三密」を回避して「グループ討論」や「他の人に教える」という学習活動を行なえる可能性を持っている。

第一に、既存の会議システムと並行して使用できる。アクティブラーニングに必須のグループ討論が可能である。
第二に、必要に応じて授業中に学生へ課題を出し、それに対する学生の反応を個人別に即座に確認できる。
第三に、必要に応じて、出題する課題を、その都度その場で作成できる。
第四に、学生は簡単に自分の回答や認識をツール上でタイプして提出することができる。
第五に、学生の反応を逐一確認でき、保存でき、講義中の学生の反応を知るだけでなく、授業後もその学生の学習状況、思考の進み具合が確認できる。
第六に、第二・第三・第四・第五の作業は教師がその機能を独占するのではなく、学生が教師役に回ることが簡単にできるから、アクティブラーニングが最も重視している「他人に教える」という教育活動を容易に行える。

 このツールには、まだ改善の余地は残されているけれども、管見では、オンライン・リモート授業を実践していく中で、アクティブラーニングの成果を上げうる最適なツールであると考えられる。

 このようなツールの開発にも、新型コロナワクチンの開発、新型コロナへの特効薬の開発に匹敵する人と資金が投入されなければならない。

6. おわりに

 一度始まった教育の大きな変革の流れは止められなくなっていくだろう。学校に縛られていた教育は学校から解き放たれていく可能性が強い。

 近代公教育は「三密」を前提としていたが、その教育システム、学校教育にも利点があった。しかし、この教育が実施困難な状況下で本格的に始まったオンライン・リモート教育の利点も教師や生徒にわかり始めている。さらに、アクティブラーニングへの移行が早急に必要であることを疑う人はいない。

 すでに、多くの教育システムが開発され、この機会に全国的規模で実施されている。その多くが、教育、学校、児童・生徒・学生の管理や教務管理に適したものである点は否定しない。

 しかし、「三密」を避ける学校教育の実践が求められていると同時にわが国の教育界が直面している課題、アクティブラーニングの必要性を考えたとき、オンライン・リモート授業下で、アクティブラーニングをいかに進めていくかが最も重要な課題となる。そのとき必要なことは、さまざまなシステムの有機的な組み合わせを見出すことである。

 そして「アクティブラーニングのための思考支援ツール(Thinking Assist Tool for Active Learning)『TATAL』(テイタル)」は最も注目されるべきツールであると考えられる。



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